「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなものは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立ってるわけさ。で、僕がそこで何をするかというとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をキャッチっするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はだたそういうものになりたいんだ。たしかにへんてこりんなことだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこりんだとはわかっているんだけどね」村上春樹訳 白水社 The Catcher in the Rye J.D.サリンジャー
最初に読んだのは「ライ麦畑でつかまえて」といいう青色っぽい白水Uブックスの野崎孝訳のもの。
流行歌の歌詞のような題名に魅かれて手に取ったのは中学のときだっとと思うけど、そのときはたぶん上のくだりまで読まずに挫折したんじゃなかったけ。
もっとロマンティックなラブストーリーを期待してた、そういう年頃だったから(笑)
2度目は大学に入ってからで、このときは授業でサリンジャーをやってたのもあって、ちゃんと最後まで読んだ。
3度目はのThe Catcher in the Ryeが出たので、一応…と。
The Catcher in the Ryeでありたい、と四十半ば、人の親になって強く思うようになった。
もちろん主人公のホールデンのごとくに世間に悪態をつきながら迷い彷徨う気は全くないけど、ただライ麦畑にいてこれといってなにもせず子どもたちを見守って、前をよく見ず走り出して崖から落ちそうになった子どもをキャッチする、そういう人でありたい。
子どもを育てるとか、学校教育とか、地域教育とか、結局、ほんとうに子どもたちの健やかな成長を望んでいるというより親も教師も行政も国も、近所のうるさいおじいちゃんも、その時々の自己満足のために子どもに様々なルールを課し、道筋をつけてるような気がしてならない。
そりゃあ、自分の子どもが成績優秀でスポーツ万能な努力家の方がちょっと気分いいに違いないし、将来は高所得者になって苦労せず生きて欲しいと願うのも当然だろうけど。
のびのびとライ麦畑を走り回って、崖に近づいたらちゃんと拾ってあげる。
世の中には今のそういうのが欠乏してるような気がする。
The Catchers in the Rye.
そういうものでありたいを思います。